「無理に盗れとは言わない。例えば、携帯電話を拾っても本人や警察に届けずに、俺に渡して欲しいということだ。一機ごとにそれなりの報酬を出す」

「……考えとくよ」

気が付くと、前野の焼酎が空になっていた。
涼は自分と同じウィスキーを前野のために注文した。

「俺のおごりだ。携帯の持ち主が金持ちだったら報酬は弾むぜ。業社の倉庫に携帯を保管してるんだが、庶民のばっかりなんだ。金持ちの方が高額搾り取れるからな」

「やっぱり、金持ちをターゲットにして盗めってことじゃね~か! 犯罪はしねえぞっ!!」

前野は目を引きつらせつつも口元で笑いながら涼の肩を小突いた。

翌日、素面に戻った前野は涼の話しを忘れようとした。
しかし、たまたま繁華街で携帯を拾った時、涼が横にいた。
涼は、無言のまま十万円を前野のポケットに突っ込んできた。そして、前野が持っていた携帯を掴んだ。
十万円は貧乏学生の前野にとって大金である。
もはや握力はなかった。携帯がするっと前野の手から離れていき、涼の手中に収まった。

そもそも落とす人が悪く、自分は携帯を涼に渡しただけで直接悪い事はしていない。
そう思うことで、罪悪感を打ち消した。
以降、前野は携帯電話を探しながら生活したが、そうそう落ちているものではない。

ある日、前野が図書館で試験勉強をしていた。
隣りに座っていた学生が、テーブルに携帯を置いたまま席を立った。
前野は咄嗟に置引きした。
外に出て図書館が見えなくなるまで走った。
初めての盗み、犯罪。足がガクガク震え、動悸も暫くおさまらなかった。
今回1回きりと決めて涼に会った。