突然、前野の左真横で携帯電話が小刻みに震え始めた。
マナーモードにしてあるが、携帯と机が連動して耳障りな音を鳴り響かせている。

携帯は羽虫が這うように前野に近づき、途中で床に落ちた。
振動が前野のスニーカーから左足の小指に伝ってむず痒い。


どうやら、持ち主は席を離れているようだ。
無人の机上には数冊のノートが入ったクリアケースとロングコートが無造作に置かれていた。
その隣り2人分の席も同じような状態だ。
恐らく3人組が席取りをしたまま室外に出ているのだろう。

主のいない携帯の震えが止んだ。

斜め前の女2人は、いつの間にか始まった彼氏の自慢話しに夢中で、後ろの出来事に全く気付いていない。
前野の真ん前には、長髪の男が背中を丸めている。前野が講義室に入った時から頭を伏し、微動だにしていない。
前野は後ろを振り向き、誰も居ないことを確認した。
そして、再び前を見渡す。

自分と目が合う学生はいない

――瞬間、前野は左足を浮かした。
スニーカーの内側で床の携帯電話を軽く蹴る。
携帯は前野の真下に流れてきた。
顔を上げたまま素早く屈んでつかむと、ジーンズのポケットに忍ばせた。

前野は素知らぬ顔で席を立ち、真後ろのドアから退室した。